さて、皆さんは年末年始の一部界隈を騒がせた「コイルガン」事件をご存知でしょうか。
2024年6月に改正された銃刀法で、無許可所持が禁じられたモノで、簡単に言うと電磁石の力で弾丸を打ち出す代物です。
ただこの規制、これまで規制されていなかったものの所持を禁じる...という事情もあって、施行から6ヶ月間猶予期間が設けられていました。その為、逮捕の報道が流れた昨年11月時点では「コイルガンの所持」は違法では無かったんですよね。
にも関わらず検挙者が出たので、一部界隈では大きな議論が起こりました。
そして今回、(結局不起訴になりましたが)逮捕された方が動画にて事の顛末を説明。
この話題には個人的に興味があり、かなり以前から追っていましたが動画を見た感想は「まぁそうやろな」という感想です。
その「まぁそうやろな」を詳しく掘り下げて、少し話したいと思います。
厳格な銃規制の意義
私自身の立場として「ちくわでも逮捕できる」現行法の立場に意義を唱えるつもりはありません。
その理由は、「銃」という道具が社会に与えうる影響の甚大さにあります。
サライェヴォ事件然り、JFK暗殺然り、安倍晋三暗殺然り、あまりに手軽に人の命を奪うことの出来る「銃」という道具は、現代社会の根幹を支える法治主義・民主主義体制を根本から揺るがしうるものであることは明らかです。20世紀末に日本社会を揺るがした某宗教が、炭疽菌やサリンに拘らず、密造アサルトライフルに拘っていれば、事件は更に深刻になっていたでしょう。
そうしたことから、"敢えて法解釈に幅を持たせる"ことで、どんな超技術を用いた銃であっても、検挙することが能う現行の銃刀法自体は必要悪であると考えています。
問われる運用方法
他方で、現在の警察の当該法の運用方法については極めて重大な問題があると思います。
前述したコイルガン事件では、規制猶予期間中であるコイルガンを"普通の(という表現が適切か分かりませんが)"銃刀法を根拠に逮捕が行われました。
結局不起訴になったことからも分かるように、本事件は警察側がコイルガン規制の周知目的に逮捕を行ったことは明らかでしょう。
実際SNS上だけではなく様々な報道媒体が本事件を報じており、警察の目的は完遂されたと言えます。
ただ、逮捕者からしたらたまったものではありません。
不起訴処分ということで前科こそ付かないものの前歴は付きますし、周囲の人々からの社会的評価の低下は避けられないでしょう。
見せしめ目的の逮捕に関して、その存在意義は認めますし色んな分野で行われている(ex. 違法ダウンロード等)ことは承知しています。ただ、ここまで無茶苦茶な解釈で法運用が行われているのは銃刀法だけでないでしょうか。
銃刀法には、大多数の国民の「銃なんて怖いし...」という社会的合意形成があることもあり、こうした無茶苦茶な警察権の行使が行われていてもあまり注目されません。しかし、近年の日本警察の銃刀法運用にはあまりに"警察権の濫用"と言わざるを得ない現状があります。改めて、各種メディアなどはこの問題にフォーカスを当ててもいいんじゃないかと思っています。
余談
私の専攻が国際関係論なこともあり、周りでは「政治状況が見たかったのに全然描かれてないから駄作」という意見が多かった映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』。
ただ「銃社会アメリカ」について色々考える映画としては本当に素晴らしい映画だと思います。普通の戦争映画ではBGM感覚で聞き流す銃声が、この映画ではそのひとつひとつに「人を殺せる」ということを実感させる重みがありました。
銃トークをする時に割とオススメしている映画なので、皆様も是非。