"バズる"ということの面倒さと驕り

最近、私がよく使っているTwitterアカウントは、毎週のようにバズっています。だいたい月に1回は万バズ、数百RT、数千Favであれば毎週のように出せます。

今の私のアカウントのフォロワー数は約700人。比較的多い方ではあるのですが、これまでいくつかアカウントを運用してきた経験からすると、フォロワー数に比してかなり異常な跳ね方をしています。

おそらくですが、Twitterの「おすすめ」機能のアルゴリズムに上手くハマっているのでしょう。

 

実際に経験してみると分かるのですが「バズる」という行為は、基本的に良いことは少ないです。スマートフォンの電池は早く減りますし、仲のいい知人からのリプライ等も見逃すことが多いです。

ただ、なにより「変なのに絡まれる」ということに付随する様々な事象が1番有害だと思います。

今日はそのお話です。

 

はじめに

バズるといっても大小ありますが、だいたい1000Favくらいを超えると、「クソ左翼がー」とか、ネタツイへの訳のわかんないマジレスとか、本文読んでないクソリプが目につくようになります。

「別にクソリプのひとつやふたつ無視してれば、なんも有害やあらへんやろ」という見方も多いと思いますが、私は大きく2つの問題が起こりうると考えています。

 

1.ミイラ取りがミイラになる

バズった際のリプライや引用なんて、気になる内容や人物以外は無視してりゃいいんですが、誠実な人々はその全てに返答をしようと試みます。

彼らはその誠実さをもって、いわゆるクソリプに対しても真摯に返信を続け、対話を試みようとします。ただ、相手が同程度の思考・知的リソースをそのリプライに注ぎ込んでいる訳ではありません。暖簾に腕押しの対話は一向に進展を見せず、気づけば、レスバトルに勝とうと躍起になってる自分の姿がありました。「争いは同じレベルでしか起こらない」という言葉もありますが、自分が相手と同じレベルに落ちているのです。

こんなことを繰り返しているうちに、リプライに対する返答だけでなく、日常的な投稿でも頭のおかしい投稿を行うようになります。

おそらく、旧来からの仲のフォロワーは、そんな姿を見て「あの人変わっちゃったな...」そんな思いで、そっとフォローボタンを外すのでしょう。

要は怪物殺しが気づけば同じ怪物になり果てるのと同じ現象ですね。

 

余談ですが、これは誠実な人間以外にも起こりえます。

なんか臭いものってなんとなく嗅ぎたくなるじゃないですか。変なリプってついつい晒したり、突っ込んだりしてみたくなるんです。私もよくやってしまいます。

 

2.人を見下すようになる

クソリプ、率直に言って頭が悪いんですよ。なんでこんな知能で社会生活送れてるんだ?ってくらい頭の悪い反応がよく来ます。

そして、あまりにも多くこの類の反応が来ると、だんだん世の中の人間の一部はサルなんだなと思うようになります。

 

ただ、恐らく実際の世界はそこまでバカは多くないはずなんです。勿論一部は存在すると思いますが。

SNSに対する姿勢は様々です。自身の思考リソースのありったけをとにかく壁打ちのように投稿する人もいれば、布団に入ってちんちんを甘いじりしながらIQ0で女性声優にセクハラリプを送る人もいます。

極論、大学教員のような知的階級に属する人物が泥酔しながらバズったツイートに対して、「しねぼけかす」と投稿することもあるかもしれません。この場合、受け手は『「しねぼけかす」と投稿する人物』のペルソナしか知り得ない訳で、普段彼が国際誌に投稿している極めて難解な論文の存在は知る由もなく、コイツは真性のバカなんだなと認識する訳です。

つまるところ、SNS上でのコミュニケーションは「SNSをしている時のその人物」というペルソナしか知りえないにも関わらず、我々は等身大の一人の人間と接していると錯覚しています。

そして、多くの場合、人々は深く考えず適当にSNSをやっています。

そんな機序で実態より遥かに「世界はバカだらけだ」と思うようになってしまうのです。

 

これは本当に予後が悪い。初見で相手を「サル」「話せる奴」の二元論で雑にカテゴライズしてしまい、無駄に敵を増やす。本来仲良くなれるはずだった人間との可能性を潰す...... 無駄に攻撃的で、プライドの高い人間が完成してしまう訳です。

 

おわりに

「暇空茜」という(悪い意味で)インターネットでは有名な人物がいます。

彼の行為に対して、私は強い嫌悪感を持っていますが、彼を責める気持ちにはなかなかなれません。ある日、多くの人々の共感を得る発信をして、一般人であったのに急に数万人の強い支持も、強い反発もを受けるようになる。

好意も悪意も、数万人の人々からの強い感情に晒された際、人は正気でいられるでしょうか。

産業革命以前、人間が一生涯に会うことのできる人間の数は数百人だったと言われています。特殊な経験や訓練がない場合、数千人・数万人の他者と関わるという行為に対して、人類は耐性を持ち合わせていないと思います。

 

バズるツイートがひとつ違えば、飛んでくるリプライの文面が少し違えば、彼のようになったかもしれない。なんなら、これからそうなるかもしれない。

そう考えると、背筋が冷たくなるんですよ。それでも、そんな怯えと共に今日も私は投稿を続けます。Twitter中毒なので。